西田中

西田中の歴史

兵庫県神崎郡市川町、​西田中​(に​したなか)。
市川と​小畑川——ふたつの​川が​出合う​場所の​村。
名前は​「田中ノ西」。​田んぼの​まんなかの、​西の​村です。​

田中庄の西

西田中・北田中・上田中——市川町には​「田中」の​名を​持つ​大字が​三つ​並んでいます​(市川の​対岸、​鶴居地区にも​別の​大字​「田中」が​あります)。​この​あたりは​中世、​「田中庄」と​呼ばれた​荘園の​地でした。​田中とは、​文字どおり田の​まんなか。​江戸の​はじめの​慶長国絵図には、​この​村は​「田中ノ西村」と​記されています。​

川の出合いの村

西田中は、​市川の​本流に​小畑川が​流れこむ、​川の​出合いの​そばに​開けた村です。​ふたつの​川が​運んだ​土が、​田中の​名に​ふさわしい​田園を​つくりました。​水に​恵まれ、​水と​付き合い​続けてきた村です。​

光明寺

村には​真宗大谷派の​寺、​光明寺が​あります。​詳しい​由緒を​語る​記録は​見つかっていませんが、​念仏の​寺が、​田んぼの​村の​暮らしに​ずっと​寄り​添ってきました。​

川辺村から市川町へ

明治22年​(1889年)、​西田中は​川辺村の​一部と​なり、​昭和30年​(1955年)から​市川町の​大字に​なりました。​いまも​秋には​西田中の​屋台が​出て、​川辺の​村々の​屋台と​練り合わせます。​川の​出合いの​村の​秋は、​賑やかです。​